表現の規制を考えているはなんなのっていう

 酒が抜けているのでたまには真面目なことを書く。


 そこかしこで話題になっている都条例「非実在青少年」規制問題だが、あちこちの識者の方の見解を読んだ中で一番しっくり来たものを張っておく。
 ゲイ・エロティック・アーティストの田亀源五郎先生の私見


 私の考えでは、フィクションはどんなに残酷だろうが破廉恥だろうが許されるものだ。所詮は思考実験と表現に過ぎず、搾取される被害者はいないからだ。
 というか、フィクションに影響されて現実で問題を起こすようなら、それはそのような受け取り方をする個人の問題であり、そういう個人が存在したとすればそれは教育の敗北に他ならないのではないか。
 漫画の真似して犯罪に走りました、なんて馬鹿の言い訳じゃん、なぁ。


 前述の田亀先生の私見では、健全・不健全という曖昧な視点による規制が同性愛者差別に繋がってきた事実を指摘している。たぶん、私がこの条例に感じる不安感もこれに近いものがあるのだと思う。
 モラルに基づく批判は反論しにくい。たとえば、今回の条例についてだって、私がヘンタイ・ポルノファンだから反対していると言われたらどうしようもない。
 かつて、ナチの収容所には幾多の犠牲者が放り込まれたが、ゲイは収容所の中でさえさらに差別されたんだぜ。


 『正しい』というのは怖い。それは反対する者の口を閉じさせるからだ。
 願わくば、人々の理性が表現の規制という方向に向かいませんように。
 さらに言えば、もしも規制がならず、表現が守られたときに阿呆の子たちがはしゃいで反社会的な行動を取りませんように。