アーマード・コアはなぜ面白いのか
アーマード・コアがやたら面白かったので、自分なりに分析してみる試み。
ここで、私自身はポータブルシリーズの3、SL、LRをクリアした程度のライトプレイヤーであることは明言しておく。LRの隠しミッションクリアだるかったです。
というわけでまずは、アーマード・コアの諸要素を抽出してみる。
物語としてのアーマード・コア
- 物語的要素及びそれに付随するキャラクタ的要素が希薄
- ゲームシステム上必要とされる以上の背景設定がない(プレイヤーには示されない)
- NPCは音声、エンブレム、操作する機体、簡単な説明文等によって表現される
- あくまでフレーバーであり、最悪まったく別のものへと変更してもゲームとして成り立つ
- プレイヤーキャラへの、感情移入を妨げるキャラクタ的要素付与の排除
- いわゆる『しゃべらない主人公』、プレイヤーが主人公というスタンス
プレイヤーコミュニティをのぞくと、アーマード・コアのプレイヤーが自らを「レイヴン」「リンクス」と称していることがままある。コミュニティ特有の表現としても、感情移入度の高さ(自嘲的ジョークとも考えられるが)が垣間見える。『ACユーザ痛えwww』とか言われちゃう原因かもしんねーけどいいだろ別にこの野郎!
ゲームとしてのアーマード・コア
- 機体を操作する……レイヴンとしての楽しみ
- パーツ取得状況を除き、熟練プレイヤーと新規プレイヤーの条件は同じ
- 機体を構築する……アーキテクトとしての楽しみ
- パーツ取得状況を除き、熟練プレイヤーと新規プレイヤーの条件は同じ
結果として、プレイヤースキルの向上がダイレクトに反映されるデザイン。
逆に言うと、キャラクタ成長要素が一切ない。レベルアップのための作業、アイテム作成のための作業をプレイヤーの動機として採用していない。
ミッション、アリーナ
- 極論すれば、ミッションもアリーナも上記レイヴン・アーキテクト要素を楽しむための物に過ぎない
- コレクタブルな要素として、ミッション、アリーナ共に褒賞として隠しパーツが多々ある
- 逆に言えば面白くないけどアイテムのためにがんばらにゃ、みたいなミッションは苦痛
対人戦及びユーザコミュニティ
- 上記レイヴン・アーキテクト要素のため、熟練プレイヤーと新規プレイヤー間で、ある程度公平な競争が可能となっている
- 上記の『苦痛なミッション』をクリアすることでプレイヤースキルを示す例が散見される
- ある意味でプレイヤー達はACの『オーナー』であり、お互いの機体を見せ合う・感想を求め合う傾向がある
- ビジュアル重視機体、ネタ機体、熟練を要するパーツ主体の機体等の文化がある
さて、ここまで分析してみてわかったのは、アーマード・コアが、あくまでプレイヤー主体のゲームであり、やたら格好いいヒーロー・ヒロインの物語を後ろから見学するゲームではないと言うことである。
また、これら諸要素を勘案すると、マジック・ザ・ギャザリングのデザインに利用されているという、Timmy, Johnny, and Spike理論が採用可能であることに気づく。
以下にwikipediaよりTimmy, Johnny, and Spike理論について引用する。
心理学的プロファイリング
Mark Rosewater は心理学的プロファイリングを特にマジック:ザ・ギャザリングでのゲームデザインに取り入れている。これは、プレイヤーをその動機から3つに分類するものである。3種類のプロファイルを Timmy、 Johny、Spike と呼んでいる。
Timmy
ゲームを味わうプレイヤー。以下のように分類される。
- Power Gamer - 力と楽しみが等価であり、ゲームを支配することを楽しみとする。
- Social Gamer - ゲームを通して友人とやりとりすることを楽しむプレイヤー
- Diversity Gamer - 何か新しいことを試すためにゲームをする。
- Adrenalin Gamer - ゲームによって興奮することを楽しむプレイヤー。例えばポーカーで自分の手と相手の手のどちらがよいかわからない緊張状態を楽しむ。
Johnny
何かを表現するためにゲームをする。
- Combo Player - ゲームの細部にこだわり、隠し要素的インタラクションを見つけ出すことを楽しむ。
- Offbeat Designer - 比較的複雑なゲーム(RPGなど)で、自分なりの制約を設けてゲームをする人(水系の魔法しか使わないとか、ナイフしか使わないなど)
- Deck Artist - トレーディングカードゲームでデッキを組むことで何かを表現する人
- Uber Johnny - 通常の遊び方に抵抗し、独自の方法を試そうとする人。
Spike
何かを証明するためにゲームをする(能力や勇気など)。
そう、つまりアーマード・コアは、味わうことも、何かを表現することも、何かを証明することも可能なゲームらしいゲームなのだ。
アーマード・コアのプレイヤー諸氏は、ためしに上記の心理プロファイルで自分がどこに位置するか考えてみてはどうだろうか。きっと新しい自分を見つけられるはずだ。