エルフ、草原、青空、戦車

 ファンタジー世界で戦車とか出てきたら格好いいよね!
 という中学生的発想で書いた。設定マニアめ、と怒られた。

 言葉にしてしまえば簡単な任務だった。いわく、正面の丘陵を占領し、敵斥候を排除して後続部隊の安全をはかれ。
 詰めるべき詳細も示されない雑な任務。丘陵をいつまで占領するのかも、警戒をするべき範囲もわからないまま立てられる行動計画。
 参加部隊は、
1 歩兵大隊から俺のいる一個中隊
  兵力は損耗し実質二個小隊程度まで減っている。
2 大隊の上、連隊から引っ張ってきた対戦車分隊
  こっちは兵員装備とも定数を満たしている。
3 どうナシをつけたか不明、戦車連隊から戦車一個小隊
  ただし稼動し戦闘に参加できるのは三両のみ。
4 大隊の重迫撃砲中隊の一部


 どうだろう。堂々たる大部隊といっていいと思う。でも喜んでいいのかどうか。
 戦車と対戦車部隊が配備されたのは、敵も同様の兵力がいると目されているためだろう。重迫がついているのは、それだけ敵がいるからだ。丘陵は絶好の防衛拠点になりうる。つまり丘陵の占領は真面目な戦闘をともなうものになる可能性が大きい。
 ここでいう『真面目な戦闘』というのはある種の業界用語で、要はガチの殴りあいのことだ。大勢死ぬ。
 小隊長について中隊本部に行った俺は、小隊長がほかの指揮官たちとともに中隊長の天幕にいる間にそれらの情報をかき集めていた。なんのことはない、中隊通信班に友人がいるのでこっそり命令書の内容とよそから入る『噂』を聞いただけだ。俺にそのことを漏らすのは秘密保全の観点から言えば最低の行為だったが、友人として考えれば最高の行為だった。その情報で俺の生死が決まるかもしれないからだ。
 やがて、命令を受領し細部を決め終わったらしく、指揮官たちが天幕から姿を見せはじめた。うちの小隊長の姿を探す。すぐに見つけることができた。
 埃で色あせた金色の髪を後ろでまとめ、丈夫さ一辺倒のごつい眼鏡をかけた女がいた。人間の感覚では不自然なまでに整った顔立ちと長くとがった特徴的な耳。引き締まった唇と、華奢に感じるほど細い身体。
 エルフ。我が『王国』の支配階級。俺たち人類の数倍の寿命を持ち、貴族として君臨する長命種族。


   ***


 どこから話すべきだろうか? やはり、最低限最初から話すべきだろう。


 俺たちの暮らす大陸にはいくつかの知的種族が暮らしている。有名どころでは、人類、エルフ、有鱗族など。他にもちょこちょこいるが省略する。有鱗族はリザードマンとも言ったりする。
 有鱗族の『竜の帝国』と西方諸国枢軸が戦った世界大戦以降、大陸には何度も大規模な戦争がおこり、それらは兵器と戦術の急速な発展と、政治の世界における大混乱を巻き起こしていた。そうした大きな流れの中で、俺が足を突っ込んでいる戦争も始まった。
 西方諸国のひとつである『王国』は、多数の人類やその他の種族の上に、小数のエルフの貴族が君臨する保守的な絶対主義国家だった。しかもがっちり腐敗中。駄目である。
 そこで、経済力をつけた一部地方が、外国の援助を得て独立を図ろうとした。それなりに稼ぐようになって家を出ようとする子供と、それを止めようとする駄目な親の図だ。
 結局のところ、話し合いはあっという間に破綻して事態は戦争へと移行した。俺が見るところ、双方話し合いで解決する努力を端から投げていた気配があった。俺たち兵隊が血を流せばいいというわけだ。
 全員地獄へ落ちればいいと思う。


   ***


 小隊へ戻る幌馬車の中にいるのは、俺と小隊長と、大隊からやってきた少数の補充兵だけだった。王国軍は基本的に部隊をできる限り前線に貼り付ける方針でやっている。消耗した部隊を後方に下げることなく、補充を送りこむことで前線の経験値をあげていくわけだ。部隊の交代による混乱がない変わりに、めったなことでは後方に下がれないので指揮官がアレだと士気が下がる。
 俺はごとごとと揺れる馬車に合わせて居眠りをしていた。馬車は箱状の荷台の左右に折畳式の座席を設けたもので、軍においても自動車の普及率が低い『王国』では、兵員・物資輸送の要だった。ちなみに居眠りをするときは小銃を脚の間におろし、銃口を片手で押さえて銃が暴れないようにする。馬車が悪路を通るときに、跳ね上がった銃が目玉に刺さることがあるからだ。
 と、がくんと後輪が跳ねて同時に俺の目も覚めた。他の兵隊連中が悪態をつくのを聞きつつ、小隊長の様子を見る。
 馬車のすみで、煙缶に煙草の灰を落とす小隊長と目が合った。
 俺は小隊長の横に移動すると、自分の煙草をくわえてマッチを出した。マッチを擦ろうとしたところで馬車が揺れる。
「無理だろう、しまえ」
 小隊長が自分の煙草をくわえたまま俺の方を向いた。マッチとあまり変わらないんじゃないかなと思いつつ、ありがたく小隊長の煙草から火をもらう。お互いの息がかかるほどふたりの顔が近づいた。顔を離して煙を吐く。
「工兵がいない」
 同じように煙を吐きながら小隊長が言った。
「本当ですか?」
「敵が丘陵に取りついたのが遅かったからな。地雷敷設の可能性は低い。どこまで掴んでいる?」
 俺が嗅ぎまわっていたことを知っている。
「噂程度です。戦車がいるとか」
 肩をすくめてごまかした。小隊長が鼻をならす。ぜんぜん俺の言うことを信じていなかった。


 小隊長と俺はふたりが新品少尉と糞ったれ新兵だった頃からの付き合いだった。同じ日に着隊して、同じ地獄を味わってきた。初期の戦闘で連隊自体が大損害を受けたために、小隊付だった少尉は小隊長に、右も左もわからなかった俺は小隊最先任下士官になっていた。
 王国軍の方針が貼り付けだったことを覚えているだろうか? 後方での休養ではなく、前線での補充重視。負傷者を後送し、下士官がよそに引き抜かれたりしているうちに、小隊に戦前からの顔なじみは俺たちふたりぐらいしかいなくなっていた。軍属である以前にひとである以上、多少の慣れ合いが発生するのはしかたがない。ここでいう『ひと』というのは物をしゃべる頭があるもの全てのことだ。
 それに俺は生き残ることで無能ではないことを証明しつづけている。少なくとも小隊長はそう考えているふしがあった。
 運がいいだけなんだけどな、と俺は思った。


「対戦車分隊長は現場を知らない糞野郎だ」
 煙草を吹かしながら小隊長が言う。
「昔の誰かみたいに?」
「昔の私みたいに、だ」
 じろりとにらみ返されてしまう。狭い馬車の中で、肩を寄せるようにして小声で情報を交換する。
「戦車のほうは、まぁましだな。汚い戦争こそ知らないが、敵も部下も殺している」
「そして重迫はいつもの通り」
「私たちもいつもの通りだ」
 ああそうですか、糞。
 俺たちの中隊は頭数では二個小隊程度まですり減っているが、中隊長は統制を維持する努力を続けていた。中隊本部の勤務員を裂いてまで定数よりちょっと少ないぐらいの小隊を二個でっちあげ、残りを予備兵力として確保したのだ。
 俺たちの小隊がその予備兵力だった。ぎりぎりまで中隊長の手元に置かれ、事態が動いたときや本当にやばい時に突っ込まれる。うまく行けばそれで終わり、まずければ一直線に地獄行き。
「敵はこちらの意図を察知してますよ」
 俺は投げ出すように両手を広げた。小隊長が眉をひそめる。
「大隊の方が斥候を出してたらしいんですがね。どっかの馬鹿が襲撃行動にでちゃったとかで。半分も戻ってこなかったらしいですよ」
「そういうことか」
 小隊長が納得したようにうなずいた。
 こういうことだ。大隊が小人数の斥候部隊を複数出して丘陵を偵察しようとした。斥候部隊のひとつが油断した敵の一部と接触、やり過ごせばいいものを『つい皆殺しに』してしまった。
 結果、敵は警戒を強め襲撃地点を元に浸透した斥候の排除を試みた。襲撃成功と引き換えに斥候の半分が死に、こちらの意図もばれたわけだ。
「奇襲効果は望めないな」
「俺たちの出番、ありますかね」
「中隊長は優秀だからな」
 そう。優秀だから必要なら部下を殺すことも躊躇しない。
「楽しい仕事になりそうですね」
 俺の言葉にうなずきつつ、小隊長は新しい煙草を取りだした。煙草をくわえて、あたりまえのように顔を俺のほうへと向ける。
 俺もくわえ煙草のまま顔を近づけ、今度は俺の煙草から小隊長の煙草に火を移した。


   ***


 対戦車分隊が壊滅した。
「早いよ!?」
 馬鹿か? 馬鹿しかいないのか?


 対戦車分隊は直接照準でぶっぱなせる無反動砲を装備した軽快部隊で、戦場に戦車が現れてからは諸兵科連合を組む際に必須となった連中だった。
「生き残りからの聴取によれば」
 うんざりした様子で小隊長が言う。
「対戦車分隊長は自前の斥候を出しつつ丘陵右側面をめざし移動していた。事前に示されていた発起点だな。対戦車部隊は大抵の敵の射程外からの攻撃が可能な連中だ。なので、行動の秘匿にはあまり気を使わなかったそうだ」
 場所は小隊の陣地の、散兵壕内にでっち上げた作戦室だった。補充兵を受け取って小隊の充足率が上がったため、作戦前に急ぎの訓練をしているところで呼び出しを食らった。集まったのは、小隊長をはじめ、俺や他の下士官や通信兵など、小隊の背骨になる連中だ。
「あれですか? 斥候で分隊を射程に収められる連中を排除しつつ」
 小隊長がうなずく。
「まっぴるまに堂々と陣地をかえようとして敵の迫砲に叩かれた」
 馬鹿だ。本気で馬鹿だ。俺たちは正面の黒板にかけられた丘陵周辺の地図を見た。地図には、今までの(惨めな失敗を含めた)行動で得られた情報が書きこんである。
「生き残りは夜を待って脱出した。その際、丘陵のほうから装軌音を聞いたらしい」


 状況を整理しよう。本来、今回の作戦は敵が取りついて間もない丘陵を重迫と戦車に支援された増強中隊で強襲し占領、周辺の敵斥候を排除して後続部隊の安全を確保する、だった。
 しかし作戦全体を仕切る大隊が送りこんだ斥候の失敗で敵にこちらの意図が暴露した。敵は警戒を強め、攻撃は難しくなった。
 そこでさらに、対戦車分隊が自分たちが敵射程外から攻撃できることを過信して安易な移動を試み、結果敵迫砲撃で壊滅した。
 たっぷりと損害を受けてこちらが得た情報はそう多くない。
1 敵がこちらの意図を察知して警戒と防御の体勢を固めている
2 敵は丘陵の背後(要は丘陵のこちら側からは見えない位置だ)に迫撃砲を持っている
3 敵は装軌車両を持っている可能性がある
4 地雷等の障害が設置された可能性は薄い。これは良くも悪くも敵と常に接触していたことから確実視されている


「当初の計画は変更された」
 小隊長が俺たち全員に説明した。
「当初は、中隊の二個小隊が戦車を前面に押し出して重迫と対戦車部隊の支援を受けつつ丘陵に突っ込む予定だった」
 そして、俺たちは後ろに控えて奇襲を受けた敵が悲鳴をあげるのを聞いていればいいはずだった。
 こちらがそろえた戦力から考えて、丘陵の占領自体はそう難しくないと考えられていた。占領後の敵の逆襲にどう対処するかが問題になるはずだったのだ。
「だが、敵は丘陵で守りの姿勢に入った。今は時間が最大の敵だ」
 時間をかければかけるだけ敵に防御の余裕を与える。奇襲ならば無視できたかも知れない迫撃砲の脅威も、敵がこちらに気づいているため無視ができなくなっている。
「そこで」
 そこで。


 小隊長がぐるりと俺たちの顔を見た。視線が俺の上でとまる。俺はあきらめたように笑って見せた。
「奇襲効果が失われたため、まぁハナからありはしなかったが、こちらの重迫を増やして丘陵を叩きつつ中隊主力を無理やり流し込む。その間、私たちは戦車部隊について丘陵を迂回、後方の敵迫撃砲陣地を強襲する」
 次々に手が上がる。小隊長が順番に名前を呼ぶ。誰が聞いてもうまい作戦には程遠いが、それについては誰も言わない。指揮官連中が決めたことに、俺たちが口をはさめるはずがないからだ。
「敵の陣地はわかっているんで?」
「先日の砲撃から標定はしている。陣地移動をしているとは思うが、有効射程を考えればそうおかしな所にはいないはずだ」
「装軌音についてですが」
「丘陵周辺で敵戦車の目撃情報はない。上はいないと考えているが、対戦車分隊の件に絡んで移動している可能性がある。最悪を考えて戦車を出すことになった」
「どうやって戦車についていくんですか?」
 戦車部隊に徒歩の歩兵がついていけるわけがない。普通は自動車化された部隊を使うが、珍しいところでは騎兵をつけることもある。だが、うちの中隊にはせいぜい馬車があるだけだ。
「決まっているだろう?」
 小隊長がひとの悪い笑みを浮かべた。
「直接戦車にぶら下がっていく。油断するなよ、落ちたら死ぬぞ?」


 俺たちはいっせいにうめき声を上げた。


   ***


 戦車隊長は制帽を被った垂れ耳垂れ目の若いエルフで、砲塔から上半身を出して煙草を吹かし、だれた表情で俺たちの到着を待っていた。
「来たな。もうあったまってるぜ」
 表情とは裏腹に、エンジン音に負けない大声で言う。ぽかんとした顔で戦車を見る俺たちに気がついて、垂れ耳は苦笑をして見せた。
「わかるか? 『竜の帝国』のドンガメだ。捕獲した奴を改造した」
 『王国』の戦車は『竜の帝国』と比べて十年は遅れているといわれている。関係者は躍起になって使える戦車の開発をしているらしいが、現場にすぐに届くわけがない。俺たちの目の前にいるのは、かつての敵国である『竜の帝国』の旧型戦車を改造したもので、あだなの通りだった脚の遅さをエンジンに手をいれて改善し、『王国』の戦車運用に合わせた小改造を施すことで正規の連隊に配備させられる程度の性能を実現させたとのことだった。
 短い調整の結果、三両の戦車で縦隊をつくり、二両目と三両目に俺たちの小隊がぶら下がっていくことで話がまとまった。うちの小隊長は戦車隊長のいる二両目に、俺は三両目に乗って行く。もちろんそのままで敵陣に突っ込むわけではない。最終的には歩兵をおろして強襲する。
 自分の掌握下に入る兵士たちと顔を合わせているところで、戦車隊の隊付魔道士たちが戦車に補助魔法をかけているのが見えた。エンジン音と装軌音を小さくするための消音の魔法、戦車兵たちの精神的疲労を除く祝福の魔法。住環境最悪の車内に長時間詰め込まれる戦車兵にとって、隊付魔道士の存在は必須と言えた。
 と、二両目にいた小隊長が俺を手招きしているのが見えた。戦車隊の垂れ耳とともに戦車の傍らに立っている。
「この戦車小隊の通信網に臨時加入する」
 ばたばたと駆けつけた俺に小隊長が説明した。垂れ耳(よく見ると女だった。性差の少ないエルフは女でも戦場に立つものが多い)を頂点とする戦車隊通信系に、小隊長と俺が加入することで意思の疎通を明確にしようとのことだった。
「戦車隊は私が101、先頭が102、最後尾が103だ」
「私たちは、私が201でおまえが202だ」
 垂れ耳に続いて小隊長が番号をいう。了解して、通信系へ入る準備をした。
 鉄帽をはずし、垂れ耳の前に立つ。垂れ耳がくわえていた煙草を投げ捨てて制帽をとった。横に隊付魔道士のひとりが来たのを確認して、俺たちは額と額をつけて目を閉じた。魔道士が魔法を唱えるのに合わせ、精神が広がり、逆に周囲の音が遠くなった。伸ばされた精神の枝が周囲を探り、同じように伸ばされていた他の枝と絡むような感覚がある。
 つながった。
 垂れ耳が倒れるのが『わかっていた』。精神を接続した疲労で膝から崩れるのを、俺はごく自然に受け止めていた。
 頬が上気し、息が荒れているのが見えた。垂れ耳が腕の中から俺を見上げてにやりと笑う。
「系構成完了」
 傍らで腕組みをしていた小隊長がぼそりとつぶやいた。


   ***


 作戦開始時間は翌日の薄明時だった。太陽が地平線の陰から出る前に行動を開始し、敵の混乱を期待する。正面戦闘に突っ込む予定だった戦車を丘陵の迂回と敵後方襲撃に使うため、正面の戦力が足りない可能性もあった。何もかもぎりぎりの状況で俺たちがするべきは、出来る限り早く敵迫撃砲陣地を無力化し、状況が許せば丘陵後方から敵を叩くことだ。


 俺たちは戦車隊と共に発進予定線まで進出し、火を使わない遅めの夕食を取った。世話になる戦車――103号車の乗員と挨拶を交わす。
 103号車は俺の分隊と同様車長以下全乗員が人類で、すぐにある種の気安さが生まれた。エルフに関する品のない冗談を交わし、お互いが隠し持っている酒をまわしあう。
「そっちの眼鏡は」
と103号の車長がいう。
「やっぱり見た目どおりあっちも堅物ってか」
 うちの小隊長のことを言っている。
「蜘蛛の巣が張ってても驚かんがね。そっちの垂れ耳の具合はどうだ?」
「あの性格だからつきあいは気楽だがね。具合? まさか!」
 そこで二人声を揃えて、
『エルフと? 俺に獣姦の趣味はない』
 定番のネタに皆で馬鹿のように笑う。面白いつまらないは関係ない。兵隊はよく笑う。


 笑えるうちに笑っておく。


   ***


 重迫撃砲の放つ大音量が聞えてきた。あわせて、中隊主力の前進も始まっているはずだった。事前にあわせていた時計を確認する。
 俺たちは甲虫の屍骸に群がる虫のように戦車にたかると、振り落とされないように身を寄せ合ってそれぞれの場所に落ち着いた。下の連中を確認して、砲塔から上半身を出している車長に準備よしを伝える。先頭の102号車が大きくエンジンを吹かす。
 吐き出す息はまだ白い。消音の魔法のせいで、戦車の音は我慢できる程度に押さえられている。空を見れば、東から少しずつ増していく陽光に星々が撤退戦を始めていた。
 縦隊のまんなかにいる101号車を見る。垂れ耳とうちの小隊長の姿が見えた。垂れ耳が大きく腕を前に振る。
 縦隊が前進を開始する。長い準備期間は終わった。ここからは俺たちの戦争だ。


 戦車隊は丘陵の左側面を猛進していた。戦車という奴は素人が思っているよりも足が速い。振り落とされれば無事ではすまないし、101号車の場合は下手すれば後続の103号車に轢かれて死ぬ。
 元々ドンガメを運用していた『竜の帝国』は、今俺たちがやっている「戦車に歩兵を山積みにしての野戦行軍」を基本的な運用の一つとして採用していた。そのためドンガメは砲塔及び車体に歩兵のための手すりが大量についていたりする。実際にぶら下がっている今は大変ありがたいが、こいつさえなければこの無茶な状況はなかったんじゃないかと思うと同時に憎らしくもあった。
 戦車に揺られながら部下たちに周囲の警戒を徹底させる。視界の糞狭い戦車のかわりに目となるためだ。三両の戦車の車長たちは、全員が砲塔から上半身を乗り出して率先して周囲を警戒していた。巻き上がる埃に息が詰まる。
 丘陵のほうから聞える戦争音楽がますます激しくなっていた。音楽が途絶える前にけりをつけなければならない。
 味方重迫とは違う砲撃音が聞えてきた――敵迫砲。一瞬身体が固まったが、砲弾は戦車隊にはふりそそがなかった。敵も動きはじめている。今までのことを考えれば、ただで済むとは思えない。103号車の車長が俺を見てうなづいてから車内にその姿を消した。砲塔のハッチはこぶし一つほどの隙間を空けてある。敵の砲撃でゆがみ、開かなくならないようにするための工夫だとのことだった。
 丘陵周辺はまばらに潅木があるだけの草原地帯で、乾季である今は動物の姿を見ることも少なく、遮蔽物もほとんどなかった。時間さえあれば、防御側が圧倒的に有利な地形だ。
 戦車が乾いた土を巻き上げ、ひとの胸ほどもある多年草を押し倒していく。空を飛ぶものがいれば、バリカンで畜獣の毛を刈るように草原を刈っていく戦車の姿がよく見えただろう。
 と、腹に響くような砲撃音とともに、102号車に衝撃が走ったのが見えた。
「十一時の方向!」
 部下の絶叫をそのまま全戦車と小隊長に『送る』。急制動をかけて速度を落した戦車から降車し、分隊を二時の方向へと進出させる。
 101号を見れば、負い紐か何かが引っかかったのか、降りるのが遅れている兵士がいた。小隊長がそれを引き離そうとして、諦めて降りるのが見えた。垂れ耳からの『声』が届く。
「全員伏せろ!」
 戦車がいっせいに主砲を放った。立ち上がって101号車を見ると、砲塔に赤いしみが出来ていた。
 二時の方向から放たれた別の砲弾が、さっきまで俺たちがいた103号の砲塔に叩き込まれた。十一時の方向に意識を向けたところで、反対側から無防備な後ろを叩く。撃ってきた相手も元は同じ『王国』のやつだ。考えることはお互いに読めている。
 ドンガメはあだな通りの丈夫さを見せると、すぐにその場で方向を変えて前進を始めた。101号車、102号車で十一時方向を叩く。俺の分隊と103号車が二時担当だ。
 俺は103号車に連絡を取ると、部下に声をかけて対戦車砲とおぼしき敵に向かって前進を開始した。


   ***


 対戦車砲陣地はすぐに無力化できた。戦車と歩兵で注意を引きつつ、俺と少数の連中でさらに迂回し、後方から強襲をかけたのだ。陣地は地面を浅く掘って土嚢で補強した物で、根のついた草を巧く使ってきっちりと偽装してあった。こいつは撃たれるまで気付きようがない。
 周囲を警戒しつつ陣地を漁る。手榴弾を放り込んだ後に突っ込んで生きている奴らにたっぷりと銃弾をくれてやったので、ほとんど虐殺に近い形になっていた。
 俺は指揮官らしい奴の死体から拳銃をいただくと、封の開いていたビンからジャムをすくって一口食った。合流した残りの連中にも食い物と武器を集めるように指示し、死体からも使えるものは剥ぐように徹底する。
「手馴れているな」
 103号車が横につけて車長が姿を見せた。顔に嫌悪のようなものを浮かべている。元は同じ国の住民だ。この戦争に納得がいかないものも少なくはない。
「好きでやっているとでも思うのか?」
 俺はジャムに蓋をすると奴に放った。車長は危なっかしく両手で掴むと、複雑な顔をして車内へと姿を引っ込めた。俺は鼻で笑うと、気持ちよく死んだ指揮官の頭を蹴った。もちろん、その指揮官もエルフだった。
 踵を返して、そこで気がついた。振り返って対戦車砲を見る。それなりの口径のある牽引式だ。馬匹? 自動車? 装軌車両? 少なくとも、こちらの陣地にはそれらの姿は見当たらない。
 こいつは何でここまで引っ張ってきた?


 小隊長と連絡を取ろうとして、それが出来ないことに気がついた。103号車長が姿を見せる。奴にも俺の考えが『わかっていた』。
「小隊の通信可能距離はそう長くない」
 顔を出すなり奴は言った。そして続ける。
「元は友軍だ、戦車がいる。少なくとも戦車の運用を知っている奴が」
「二段構えか」
「逆方向に対戦車砲。ケツを守るために愚策と知りつつ部隊を割く」
「そこで本命の登場」
 ――いや、違うのか? 戦車で対戦車砲を牽引、逆に隠れて挟撃。これなら残った相手は戦車が一だ。だがそれならばわざわざ戦力を割く意味がない。
 もう一両戦車か兵員輸送車、対戦車砲は最低二門。
 俺たちの相手はちょろかった。ならば、焦点になるのは反対側だ。


「乗車だ! かき集めたもんはそこら辺につんでおけ!」
 103号車が勢いよくエンジンの回転数を上げた。分隊が戦車に収まったのを待って急発進する。俺は砲塔に乗り出すようにして通信がつながるのを期待した。
 その時、前方で爆音と共にドンガメの砲塔が空高く吹き飛んでいくのが見えた。


   ***


 『つながった』。
 吹き飛ばされたのは102号車だった。小隊長も垂れ耳も指揮に忙殺されてでたらめな生の意識を送り込んでくる。
 俺は頭の中に鳥瞰図を描くとそれを通信系の全員に送った。こいつが俺を生き残らせてきた秘密だ。直感的な空間把握能力の高さ。
 一瞬の沈黙のあと、すぐに反応が返ってくる。それらを鳥瞰図に反映し、103号車が取るべき行動を決定した。小隊長の了解を取る。
「射撃ようーい!」
 分隊の連中に射撃方向を示す。戦車が俺の求めに応じて機動する。
「撃てぇー!」
 101号車に突撃をかけようとしていた敵歩兵に向けて一斉射。急制動をかける戦車から降りる前に、反撃を食らって分隊員が次々と朱に染まる。動けないものも問答無用で引きずりおろし、そのまま戦車と共に前進する。お互いがお互いを認識し、双方に後退の意思がない状況での戦闘。
 103号車が敵歩兵に向けて榴弾を放つ。俺はとにかく情報をかき集めて生き残った二両の戦車へと情報を流す。
 小隊長が敵対戦車砲を潰したことを伝えてくる。残るは敵戦車一と半装軌式の兵員輸送車一。
 俺たちは歪んだ台形の各頂点に散らばっていた。上底の左に敵戦車、右に敵兵員輸送車。下底の左にうちの小隊長とその分隊の大部分、右に俺の分隊と二両の味方戦車。
 二両の味方戦車が立て続けに主砲を放った。敵の兵員輸送車が炎上する。方向を変えようとしたところで、101号車の車体後部に敵戦車の放った一撃が突き刺さった。垂れ耳の悲鳴が頭に響く。
「二人こい!」
 俺は101号車へと進路を変えた。101号車につけられた小隊長の分隊員は全員がやられている。敵の歩兵はまだ殲滅できていない。
 操縦手用ハッチから身を乗り出した乗員が敵の銃弾を受けてのけぞった。車体底部の脱出用ハッチは……起伏の関係で開かない! 近づいてみてわかった、足回りが完全にやられている。下手をすると車内は酷いことになっている。
 103号車が前進して敵戦車の注意を引いている。俺は101号車に取り付くと、ついてきた部下に警戒を任せ砲塔上面の車長用ハッチを蹴り開けた。硝煙と血と小便のきつい臭い。
 俺は気絶している垂れ耳を引きずり出すと、今度は自分が車内に入って生き残りを探そうとした。千切れた足一本計上。首から上がない死体一体追加。と、浅い呼吸を繰り返す乗員をひとり見つけた。どうやら足の持ち主らしい。
 俺はそいつを引っ担ぐと急いで戦車を出ようとした。
 そこで小隊長からの指示。
 俺は車長用の椅子に乗員を押し付けると身体をかぶせるようにして衝撃に備えた。車体を揺るがす大音響。


   ***


「おい!」


 一瞬、音が消えていた。衝撃のあまり全てが現実感を失い、何もかもが白々しく――そして美しく見えた。


「おい!」


 成長とともに垢のようにこびりついていた偏見がすべて吹き飛び、子供のような素直さで物事をありのままに受け止める。抱きかかえた乗員のぬくもり、掴んだ椅子の合皮の手触り。それらが理解不能な感動を俺に与えていた。


「おい!」
 聞きなれた声に顔を上げた。暗く狭い車内から車長用ハッチを臨む。爽やかさを感じさせる青い空が見えた。その青空を背景に、いつも見ていたあの顔があった。
「生きてるな? こい!」
 ひびの入ったごつい眼鏡。俺から見ればガキっぽい、不自然なまでに整った顔。
「どうした? 早くしろ!」
「最初にこいつを」
 俺は頭を一振りすると乗員を押し上げた。小隊長は乗員に気がつくと、俺の動きに合わせてそいつを戦車から引きずり出した。後に続いて戦車を出る。
 車外では小隊長についていた分隊員が警戒をしていた。一瞬状況がわからなかったが、戦闘の興奮で頭が全開であるためすぐに答えにたどり着く。明らかにやばい戦車に潜れと部下に命令するのは難しい。指揮官は常に率先躬行。本来ならそこで兵隊を怒鳴りつける下士官が――そのとき、まさにその戦車の中にいた。
 糞! 俺が下手打ったせいで指揮官を危険に晒した。俺は小隊長に顔向けできない。
 小隊長が俺を許しても、俺が自分を許せない。
 小隊長が素早く分隊員を掌握して敵戦車へと向かおうとする。俺は自分の分隊員と共に負傷者を連れて下がることになった。


 103号車の腕前は明らかに相手に勝っていた。かつての敵から奪った戦車で、かつての味方戦車を破壊する。103号車から歓声が飛んできた。後は残敵掃討だ。


   ***


 指定された時間に部屋の前に立ち、扉を叩いて来訪を告げる。
 入れ、との声に室内に入る。
 そこには、下着姿の小隊長がいた。


 大隊が休養に使っている集落は、元は貴族が狩猟に出る際の逗留地として整備されたもので、俺たち兵隊が使っている宿舎はともかく、士官以上の連中が使っている建て屋は調度類もそれなりのものが揃えてあった。
 小隊長が使っているのはひかえめだが上品な内装の小さな部屋で、東を向いた窓の下に寝台が置いてあり、寝台の脇に小さな机が置いてあった。
 小隊長は酷くだらしない生活をしているようで、寝台の下に軍靴を揃えている他は軍服は上下ともに寝台に投げ出してあり、自分は下着姿で椅子に座り湯を張った桶に足を突っ込んでいた。
 きつい薬湯の臭いに顔をしかめる。
「水虫ですか?」
「長くてな」
 同じように顔をしかめて言うと、机の上から軟膏の缶を取り、注意書きを一瞥してから俺へと放る。俺は乾いた布を取ると小隊長の前にひざまずき、桶から引き上げた足を拭って軟膏を塗りはじめた。小隊長の視線が俺の左手へと落ちる――拇指側の三本しか指が残っていない、半分に切り詰められた小さな手。
 以前、戦争が本当にきつかったときに、小隊長が使い物にならなくなったときがあった。俺は小隊長を引きずりまわしてその地獄を逃げ延び、小隊長も持ち直して事は済んだ。
 士官は常に貴重品だ。士官がひとり減るだけで全体の生存率が落ちる。その対価が俺の左手なら安いものだ。拇指が残っているため物もつかめる。
 痒みからか、小隊長が切なそうな顔をして額を俺の肩に乗せた。軟膏を塗り終わった俺は、小隊長を肩から離すと一瞬だけ右手を小隊長の膝に乗せた。びくり、と緊張したのを感じ取り、すぐに手を離して立ち上がる。
「上衣と足載せ台を」
 小隊長の求めに応じて上衣を肩にかけてやり、足載せ台に薬を塗ったばかりの両足を乗せてやる。
 正直言えば、従兵でもない下士官の俺がここまでやってやる義理はない。これは小隊長なりの甘えであり、俺はそれに口答えもせずに甘やかしてやっているだけだ。そして甘やかしてやっている理由は、小隊長が士官だからでも、貴族だからでもない。


 彼女が、まだ二十歳にもならない子供だからだ。


 エルフといえばその長命さゆえに外見以上の年齢を想像しがちだが、小隊長は貴族子弟枠で軍に入ったばかりの子供だった。『王国』軍は士官の教育を連隊で行なう。間の悪いことに、少尉が着任してすぐに戦争が始まり、少尉は満足な教育を受けることもなく戦場へと投げ出された。
 そして俺以外の顔見知りをほとんど失うほどの消耗戦。
 軍属である以前にひとである以上、多少の慣れ合いが発生するのはしかたがない。
 つまりは、そういうことだった。


「この間の丘陵の件で」
 小隊長が本題に入った。
「戦車連隊の方から勲章の申請があった。貴様にだ」
「ありがたい話で」
「作戦事体は散々だったからな。景気のいい話は」
 煙草に火をつけながら言う。
「――景気のいい話はほとんどない。結局、時期を逸した戦闘だったんだよ。後続部隊もすぐに追いついて先へ行った。無理して少ない戦力で頑張る必要なんざ」
 小隊長が握ったこぶしを突き出し、ぱっと開いて見せた。俺は肩をすくめて同意した。
 結局のところ、丘陵に関する一連の作戦はほとんど意味を持たなかった。
 丘陵こそ奪取したものの、中隊主力はほとんどすり潰され、中隊長自身も戦死。
 敵迫撃砲陣地の強襲は敵の待ち伏せによりこちらの戦力が削られた結果、敵に退却の猶予を与え、不完全な結果に終った。
「中隊の再編に絡んで、新しい話が来た。たぶん、こっちで本決まりだろう」
「それは一体」
 そこで、扉を叩く音がした。


   ***


 小隊長の許可を得て扉を開けると、そこにはいつかの垂れ耳と103号車の車長がいた。驚く俺に垂れ耳は満面の笑みを浮かべて、
「やぁ、恩人君。……しばらく同じ部隊だ、私は嬉しい」
 などとよくわからないことを口にした。後ろの103号車長を見る。奴はニヤニヤしながら、小声で獣姦野郎、獣姦野郎と唄っていた。誤解である。
 小隊長の声に我に返り、ふたりを小隊長の部屋へと招いた。小隊長の格好と俺を見比べて、103号車長のニヤニヤが酷くなった。獣姦野郎、獣姦野郎。誤解である。


「独立戦闘団?」
「戦車、自動車化歩兵、独自の段列。小回りがきいて使い出のある戦闘単位を上は求めていて、ここら一体の壊滅した部隊はそのためのいい材料ってわけだ」
 そして、その新編部隊で、俺と小隊長、垂れ耳と車長は同じ部隊になるらしい。
「私が特に申請したんだ。君の例の能力――戦場を鳥瞰図で把握する能力は素晴らしい」
「だが、私が引き抜きに異議を唱えた。私もまた率いるべき部隊があり、貴様を必要としていたからだ」
 エルフ達の言葉に、103号車長がもてもてだな、と感想を言う。
「とまぁそんなわけで。我々はまた同じ戦場に立つことになったわけだ」
 垂れ耳が103号車長のほうを向いて頷いた。奴が、いい色をした酒を取り出して見せた。小隊長に確認して、コップを四つ用意する。
 四つのコップにたっぷりと酒を注いで、俺たちは立ち上がった。垂れ耳がぐるりと見回して言った。
「何か言いたいことがあるものは?」


「今度はまともな戦車の使い方を見せてやりたいね」
 103号車の車長が言う。
「貴様の腕は見た。あの腕は誇っていい」
 うちの小隊長が奴を誉める。
「何度でも見せられるさ。これから何度でも」
 垂れ耳がある種の諦観を浮かべて言う。
 そこで、何故か皆が俺を見た。俺は肩をすくめて、


「――まぁ、エルフがふたりなのを良しとしましょう」
 これ以上エルフが増えないことを祈って、俺は持っていた酒をあおった。

 ちなみに裏テーマは『金髪眼鏡女エルフ軍人水虫葛藤物』である。やればできる。