軍隊と宗教、あるいは人間の限界と救い

 酒の勢いで難しいテーマについてグダグダに語る。


 地下鉄サリン事件時に現場に向かった陸自32普連の当時の連隊長はキリスト教徒であり、軍事雑誌で当時の状況についての文章を発表した際にもそのことについて言及している。
 陸上自衛隊はもちろん軍隊ではないが、一般的に軍事的とされる行動をとるための組織であり、各国の軍隊が持つものと同様の問題を多数抱えている。その中のひとつが、構成員をきわめて高いストレスにさらすことである。

 軍隊が行う究極的な行動はもちろん戦争であり、それは肉体的・精神的ストレスを伴う。そのため平時においても訓練や集団生活の中で構成員をストレス下にさらし、耐えられないものは弱いとする風潮がはびこりやすい。メンタルケアの問題については常に改善が叫ばれるが、現場においては「潰れるやつが弱い」という認識のほうが一般的であり、ややすれば「潰れた」ものを罵倒しがちである。
 上記連隊長氏も、発表した文章の中でかつてメンタル面での問題があったことを告白しており、キリスト教がひとつの救いであったことを述べている。
 構成員がストレス下にさらされがちな組織において、信仰心が救いとなるケースはままある。逆に、信仰心を持ってそのような状況を打破しようとする場合も多い。このあたりの感覚は、一般的に信仰心・宗教心が薄いとされる日本ではわかりにくい部分であり、もっと意識するべきところではないかと思う。



 ところで、現代日本人の信仰心が薄い理由は、かつて日本が国家神道という形で信仰心を利用した体制を作った挙句、戦争でボコボコにされることで国民を裏切ったのが理由なのではないか。神を信じ、神のために戦い、神が自らの神聖を否定した時。



 神が、神であることをやめた国。私たちはそういう国に生きている。